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全国の女性役員紹介「レディ・マドンナ~参画する女性たち」季刊自治労連より

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誰もが一歩前に出て 労働組合の活動に「参画」を!

愛知・名古屋市職労執行委員長

蛯原(えびはら)京子

 私が名古屋市役所に入ったのは、1978年。所属は、本庁の局の総務課庶務係。職員個々人へのお茶出し、灰皿の片付け、局長の毎日の昼食手配や配膳なども仕事でした。新年の仕事始めには振袖で出勤もしました。(あれもこれも、今では考えられませんが)

  採用と同時に名古屋市職員労働組合と出会い、支部の歓迎会で「友達100人つくりたい!」と宣言(笑)。活動のなかでパートナーとも出会い、20代は子育てしつつ、支部の女性部で機関紙づくりを楽しんだり、そのうちに支部役員になったり。当時は、夫の転勤などで職場を去る女性が少なくありませんでした。事務職員には育児休業もなく、双子を妊娠し、親御さんの病気も重なるなかで、退職せざるを得なかった人も。このときは、「せめて育児休業があったら」と悔しい思いをし、「全職種に育児休業を!」「制度ができたら私も3人目を生みます!」と職場集会などで訴え、1991年に制度確立。しかしながら私は、介護で公約実現には至りませんでした(汗)。

 30代は支部の書記長でほとんど過ごし、40代は休職もとりながら本部役員に、そして50代で離籍し現在に至っています。 今年7月の定期大会から執行委員長になりました。4年前に名古屋市職労書記長になったときも、今回も、名古屋市職労の活動水準を維持・発展させていくには、「自分には足らないところだらけ」と思いました。 しかしながら、「自分は中川さん(前書記長)や大橋さん(前委員長)にはなれない」「自分は自分にしかなれないなぁ」と考え、今日に至りました。 この夏、ある区役所支部での出来事です。支部長が今年度末退職で、次期役員体制の確立に苦労をしていました。支部長、書記長が決まらず、執行委員も欠員が出そうな状況のまま、役員選挙がはじまりました。ところが、立候補締め切りの前日、30代の女性役員が「自分が書記長をやるので、支部長をやってもらえないか」と、当時の男性書記長に逆提案をしたのです。この女性の「踏み切り」が、男性書記長の背中を押し、支部長になることを決意させ、周りの人の背中も押し、26歳の執行委員2人を含む欠員なしの役員体制が確立できました。

  名古屋市職労には「市職労の元気は職場から」という合言葉があります。 女性も男性も、正規も非正規も、青年もベテランも、誰もが組合活動に一歩前に出て「参画」することで、たくさんの要求と知恵が集まり、変化を作ることができると思います。

  今、名古屋市職労に常駐しているのは、役員5人と書記6人の計11人です。このうち女性は6人です。賑やかです。また、20代と30代の書記3人が子育てに奮闘中で、同じ世代の組合員がたくさん寄ってくれる場所になっています。 引き続き、組合員のみなさんと悩みながら、知恵を絞りあいながら、憲法を基軸に、国の悪政の防波堤となる自治体、住民に寄り添う自治体労働者をめざして、「一歩前に」進み続けることに努力をしたいと思っています。

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