いい旅ニッポン見聞録2018年11月号 Vol.540

疲弊する農村を立て直した実践家 大原幽学

世界初の協同組合「先祖株組合」

千葉県旭市大原幽学記念館

▲幽学の家

19世紀半ば、資本主義経済が広がり下層労働者の生活困窮が極まるなかで、協同組合の設立が世界各地で同時期に起きました。そのひとつの史跡が千葉の北東部に残されています。世界史のダイナミズムを体感しに大原幽学記念館を訪ねてみました。

時は江戸時代末期の天保期(1831~1845年)。飢饉による食糧不足と厳しい年貢の取り立てに疲弊した農民は、土地を捨てて逃げ出し、農村は荒廃。農民を労働者として吸収したのが、江戸の大動脈として栄えた利根川沿いの河岸の町、そしてイワシ漁でにぎわっていた九十九里浜北端に位置する現在の旭市飯岡でした。

侠客の縄張り争いを描いた『天保水滸伝』に登場する飯岡助五郎は、この飯岡の網元であり博徒であり、警察的な役割を担った十手持ちでもありました。

同時期にこの地域で、農村の立て直しに尽力したのが大原幽学です。合理的な農業経営と和と孝を中心とする生活仕法を合わせた実践道徳「性学」を説き、農村改革にとりくみました。

注目されるのは、イギリスのロッチデール協同組合結成(1844年)に先行する「世界初の協同組合」ともいわれる「先祖株(せんぞかぶ)組合」です。

組合員に農地の一部を提供してもらい組合の共有財産とし、組合員となった貧農にはその土地を耕作してもらい、そこから上がる利益を積み立て、そのお金を潰れ百姓の復興、組合の運営費、子孫のための積立などにあてたのです。

幽学の農村改革は、領主から表彰を受けるほど成功しましたが、門人が増え、領地を越えて農民が集まるようになると、幕府の嫌疑をうけるようになりました。

また、幽学が禁止した博打は、博徒にとっては収入源であり、また労働者を確保する手段でもあったため、博徒との対立が先鋭化していきます。

ついに教導所に博徒が乱入する事件が起こり、これを機に6年に及ぶ奉行所の取り調べが始まりました。判決は、教導所の取り壊し、組合の解散、幽学には「押込百日」でした。幽学は、刑期を終えて失意のうちに62歳で自刃を遂げることになります。

大原幽学記念館には、先祖株組合の帳簿から、幽学の自刃の短刀まで多くの関連資料が展示されています。また、敷地内には幽学が生活し講義を行った家や当時の区割りのままの水田が残されています。

▲当時の区割りのままの水田

▲大原幽学

見聞録メモ
所在地/千葉県旭市長部345-2
交通/東京駅八重洲口から銚子行き高速バス「干潟」下車、徒歩25分
開館時間/午前9時~午後4時30分
休館/月曜、祝日の翌日、年末年始
入館料/大人300円、小・中・高生200円
問合せ/0479-68-4933