いい旅ニッポン見聞録2018年2月号 Vol.531

兵庫県神戸市・戦没した船と海員の資料館

海員組合がつくり運営 戦没船と船員の博物館

神戸・三宮から博物館へ

▲第一展示室前「海に墓標を」の下に献辞

海洋国日本にとって、平和な海は絶対の生存条件であり、われわれ船員は再び海を戦場にしてはならないと決意する

神戸・三宮は旅行者が集まる、神戸一の繁華街ですが、ときにはお隣の元町に足をのばして中華街・南京町の南、神戸華僑歴史博物館や今回紹介する「戦没した船と海員の資料館」を訪れてみませんか。

館に入ってまず目につくのが「海に墓標を」と刻まれた銘板とこの献辞です。

軍事徴用の民間船 攻撃対象に

太平洋戦争で民間船舶が兵員と物資輸送に徴用され、船員6万人余の命が奪われました。戦没率は海軍や陸軍の比率をはるかに上回ったといいます。

南展示室には、船員と商船を戦争に巻きこんだ法令が時系列で表示されています。15歳以上なら船に乗り込めるとした船員法改正から徴傭船制度廃止までの間に20本もの法令が施行されました。

この表の下に、多くの戦没者を出した商船の描画があります。日章旗と船名が見えないので、スタッフに尋ねると、軍務に就く商船は船名も消され、その結果不審船として連合軍が攻撃する口実を与えることになってしまったそうです。

それぞれの商船には戦没された船員、将兵などの人数が記されています。玉津丸は将兵4620人が戦没、順陽丸は連合軍捕虜1449人、インドネシア人他4189人と記されていました。

つぎの展示には、大政翼賛会発足の際に日本海運報国団も傘下に入ったとあります。なかには14歳の少年も乗船させられたとも…。

戦没者6万余のうち14歳が987人、20歳未満が約3割。1944年になると、海員養成の就業期限も2カ月に短縮されたとあります。

また「戦時標準船」は良質の材料と熟練工が軍にとられた結果、「粗製濫造」されたもので、1027隻建造され、うち6割が戦没したとされています。

無謀な戦争の激化により、船員も船も犠牲が増すばかりで、「補充」が追い付かなかったということでしょう。

兵員や軍事物資補給のため、民間船員を予備自衛官補として海上輸送させる制度が2016年につくられました。

この資料館は、記憶を風化させてはならないと船員の海員組合が創立しました。求めればスタッフが丁寧に説明してくれます。

父や兄たちがどことも知れない深い海の底に眠るご遺族の悲しみを想い、“今”を思い、資料館をあとにしました。

▲戦時下で改変されていく法令の表と大量戦没者が出た船の写真(南展示室)

見聞録メモ
交通:JR元町駅から徒歩約7分
所在地 神戸市中央区海岸通3丁目1-6 全日本海員組合関西地方支部内
入館料:無料
問合せ:078-331-7588