いい旅ニッポン見聞録2016年4月号 Vol.509

千葉県木更津市

歴史ロマンに思いを馳せる

木更津市郷土博物館 金のすず
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▲博物館のある太田山公園に立つ「きみさらずタワー」の日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の像。木更津の由来といわれる「君去らず」の伝説がモチーフ。

 1950年、千葉県木更津市の古墳を調査していた調査団は、土砂に埋もれた石室のなかに約20本もの飾り大刀、馬具、鏡、そして金の鈴を発見しました。全国的にも貴重なこれら出土品は、1959年に国の重要文化財に指定され、現在は「木更津市郷土博物館 金のすず」で見ることができます。

 金の鈴は、展示室のガラスケースのなかにありました。直径1センチほどの小さな鈴ですが、紐を通す輪など細かい細工が施してあり高い技術を思わせます。最近の分析で金の純度は約98%と判明し、当時の列島の技術では難しいことから、大陸由来と考えられます。約1400年前のこの鈴は、どんな音がするのでしょうか。

 それにしてもなぜ東国の豪族がこのような貴重品を持っていたのでしょう。それはこの地が、東京湾を経由する当時の東海道の要衝で、中央の権力(大和政権)はこの地の支配者と友好関係をつくる必要があったためと考えられています。出土品からは、当時の政治状況や交易の広がりがわかり「考古学の魅力」を感じることができます。

 この博物館、見どころは出土品だけではないのです。

 木更津は、幕末の大名、林忠崇(はやしただたか)の治めた請西藩(じょうざいはん)があった場所です。忠崇の人生は波乱万丈。19歳で藩主となり、戊辰戦争では恩のある徳川家のために戦うことを決断。何と藩主自ら脱藩して自由の身となり、藩士を率いて各地で新政府軍と戦いました。これは新政府の怒りを買い改易処分(領地没収)となり、他の大名が華族とされる一方で、忠崇は平民扱いとなり生活が困窮し苦労しました。旧藩士らの運動で47歳で華族待遇となり、「最後の大名」として94歳まで長生きしました。最晩年、辞世の句を求められた時「辞世の句は明治初年(降伏時)に詠んだ」と答えたそうです。

その句とは…
  真心の あるかなきかは ほふり出す
  腹の血しを(潮)の色にこそ 知れ

 写真では細面の優男ですが、どうやら相当な根性の持ち主だったようです。博物館には忠崇直筆の書画が展示されていて、幕末・明治維新ファン必見です。

 他にも国の重要有形文化財の上総掘りの用具の展示もあり、現在は企画展「何だコリャ? ~形から入る考古学」が開催中。木更津には博物館以外にも、アウトレット、潮干狩りなどなど家族で年中楽しめるスポット・行事がいっぱいです。

見聞メモ
【木更津市郷土博物館 金のすず】
所在地/千葉県木更津市太田2-16-2 問合せ/0438-23-0011
入館料/一般200円、大学・高校生100円、中学生以下無料
休館日/月曜・年末年始

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▲約1400年前の金の鈴
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▲請西藩の脱藩した藩主、林忠崇