〈短期連載③〉考えよう戦後被爆80年 私たちの仕事と役割
[生存権と生活保護] 健康で文化的な最低限度の生活とは何か
▲5月27日に最高裁で行われた弁論の支援に自治労連も参加
戦後・被爆から80年。戦争と平和、憲法と地方自治の歴史と現状を振り返り、各地のとりくみを紹介しながら、私たちの仕事と役割についてあらためて考えます。(第3回・全5回予定)
憲法第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、これを根拠に生活保護法や児童福祉法、国民健康保険法などの法律が制定されています。戦争による生活困窮者の救済のため、1946年に旧生活保護法が成立。そして1950年には全面改正され、現行法が施行されました。
当時(1950年代)の生活保護法では、日用品費は月額600円で内訳は、2年間で肌着1枚、1年間でパンツ1枚、タオル2枚、下駄1足、湯飲み1個とされていました。これに対し「余りにも低額で憲法と生活保護法に反する」と訴えた裁判がありました。いわゆる朝日訴訟(1957年)です。
原告の朝日茂さんは結核で生活保護を受けながら入院中、実兄からの仕送りが始まったことを理由に日用品費支給が停止されました。「健康で文化的な最低限度の生活とは何か」を問う朝日訴訟への支援が広がりました。社会的にも注目され「人間裁判」とも呼ばれ、一審は勝訴しますが、二審は敗訴。さらに朝日さんが上告後に亡くなり、最高裁は「行政の裁量」として違憲判決を避けました。
そして現在、2013年から段階的に支給額を減額した国に対して、その取り消しを求める「いのちのとりで」裁判が各地でとりくまれ、いよいよ6月27日に最高裁の判決が言い渡されます。水際作戦など自治体による生活保護行政の不適切な運用が指摘されるなか、住民が「健康で文化的な最低限度の生活」をおくれているか、どうすれば福祉が向上するか、あらためてみんなで考えていきましよう。