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第80録 手裏剣、城、路地、武家屋敷… 伊賀流忍者の里をめぐる旅

いい旅ニッポン見聞録2023年3月号 Vol.592

街には忍者がいっぱい

手裏剣、城、路地、武家屋敷… 伊賀流忍者の里をめぐる旅

三重県伊賀市

▲伊賀上野城の天守閣。城下を一望できます

堅固な城壁の伊賀上野城(いがうえのじょう) 当時の雰囲気漂う城下町

「伊賀」といえば「忍者」を思い浮かべる方が多いのでは? 三重県伊賀市は伊賀流忍者の里として有名です。中心街の伊賀鉄道上野市駅は駅舎に大きく「忍者市駅」とかかげられ、列車やコミュニティバスも忍者のラッピング。ガードレールや道路の車止めにも手裏剣マークが使われるなど徹底しています。

駅の北側には日本で1、2を争う高い城壁と美しい天守閣が再建されている伊賀上野城公園があり市内を一望できます。公園内には伊賀流忍者博物館があって本格的です。

駅の南側には城下町であったことが想像できる碁盤の目のように配置された路地。当時からあったであろう古い酒屋や武家屋敷が点在します。古い建物を利用した喫茶店や飲食店が数多くあり街散策が楽しいです。

駅前の観光協会をのぞくと、忍者姿のガイドによる観光案内や忍者衣装の貸し出しなど、忍者イベントも開催されています。

時代に翻弄された藩と仕える武士の処世術?

城下町を離れて市内各地には伊賀流忍者の養成所とされる寺院や忍者が修行したとされる百地丹波守(ももちたんばのかみ)の砦跡(とりであと)などが数多く残されています。伊賀上野城を居城とした伊賀藩は戦国時代から江戸時代にかけて、織田、豊臣、徳川と三氏の戦略・政略に翻弄された藩であったことがうかがえます。

「忍者」については諸説あって定かではありませんが、この地から多くの武士が時代の流れの中で、戦場へ、または他藩に派遣されていたようです。うがった考えですが、優れた武芸・武術を身に着けた「忍者」はこの地の武士の処世術だったのかもしれません。

市内各所に歌碑 松尾芭蕉の生誕地

伊賀市は松尾芭蕉が29歳まで過ごした生誕地だったそうです。城下町西側には「松尾芭蕉生誕の地碑」、市内各所には松尾芭蕉の詠んだ句碑が残されています。この地から京都へ、そして全国へ旅に出たといわれています。「松尾芭蕉は忍者だった」説があるのを知っていますか? 「忍者の里」伊賀出身であるが故の伝説です。この伊賀市から全国へ旅した松尾芭蕉の歩いた道を追いかけてみるのも楽しそうです。

イベント情報などは伊賀市観光案内所へお問い合わせ、または伊賀上野観光協会の公式ホームページをチェックしてください。

▲「忍者市駅」の看板の方が大きい!上野市駅

▲市内を回るバスに忍者のラッピング

▲周囲を囲む城壁。高さと堅固さが圧巻です