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沖縄のたたかいは憲法・地方自治を守るたたかい

沖縄の今・過去・未来 沖縄大学教授 島袋隆志さんが語る

▲島袋隆志教授

戦後、日本本土への復帰から50年が経った今も、米軍基地建設をはじめ日米地位協定をめぐり、沖縄の地方自治がおびやかされています。自治労連・地方自治問題研究機構運営委員の島袋隆志沖縄大学教授に沖縄県民としての思いを聞きました。

本土復帰50年目に誓う

沖縄県石川市(現・うるま市)の宮森小学校では、毎年6月30日、1959年の米軍戦闘機墜落事故で死傷した児童の追悼式が行われます。宮森小学校に通った私たちは被害児童の慰霊碑「仲良し地蔵」の前に集い、当時の在学生から墜落事故の状況を聞きました。

戦時中、旧・石川市に は、住民収容所が設営され沖縄各地から住民が集められ、戦後もその名残りある住宅密集地 となり、宮森小学校ができました。そんな生活と学びの場所に戦闘機は落ちたのです。

宮森小学校近くの金武湾上空は、嘉手納空軍基地から戦闘機が1、2分間に1回の割合で爆音とともに飛び立ち、事故当時と変わらぬ空路となっています。

中学生だったある日、双眼鏡で何気なく戦闘機を見ると操縦席のパイロットの影がはっきりと見えました。その時、戦闘機が旋回して街中に突っ込んだらと「宮森」の光景が脳裏で重なりました。

1972年の「祖国復帰」から50年、いまも沖縄の状況は変わりません。石川市(当時)には1945年米軍政府により沖縄住民代表からなる沖縄諮詢会が設置され、住民自治の実現も期待されました。しかし、当時のキャラウェイ米軍高等弁務官は「住民による自治権は神話である」と一蹴し、「キャラウェイ旋風」という専制政治が繰り広げられました。

住民自治の再現には、1968年に屋良朝苗(やらちょうびょう)琉球政府行政主席が公選されるまで約20年余りを要しました。そうして取り戻した自治権です。この地や、空、海、そして住民意思を大切にしたい。再び「神話」としないために。

▲労役のため石川の収容所に集められた地元住民
沖縄県公文書館所蔵

▲初めての県知事選(屋良候補の街頭遊説)
沖縄県公文書館所蔵

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