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第57録 京・繁華街の片隅 文化と自由のオアシス

いい旅ニッポン見聞録2021年2月号 Vol.567

歴史と文化の薫り漂う フランソア喫茶室

京・繁華街の片隅 文化と自由のオアシス

京都市下京区西木屋町通四条下ル

▲喫茶店として初の国の登録有形文化財

その地を歩くだけで、初恋のような気分になるところがだれにもあるのでは? 筆者の場合は数十年前の青い季節、数年過ごしただけですが、京都に近づくだけで胸にジーンとくるものがあります。

そのうえに京都は〝歴史〟が重なってきます。

4年ほど前、四条西木屋町(しじょうにしきやまち)通りを南へ下がったところにある「フランソア喫茶室」を訪れました。その昔、好きだった人とお茶を…と、そんなことはなく、この由緒ある喫茶店のことを知ったのは訪れる数年前です。

四条通はデモで歩いたことの方が多く、木屋町や先斗町(ぽんとちょう)などからの脇道に入ったことはありません。なにしろ金なし、芸なしでしたから。このあたりの路地裏で記憶にあるのは、四条河原町を少し下がったところに労働会館があり、その地階の暗い居酒屋で梅酒割りビールを飲んだことぐらい。

京・昭和史の索引

話を脇道から戻します。

フランソア喫茶室は「滝川事件」(注)翌年の1934(昭和9)年、暗雲立ち込める時代に画家をめざしていた立野正一が労働運動に関わり、活動家たちの資金を支援しようと創業したクラシック喫茶です。フランス人民戦線運動の文化誌『金曜日』に鼓舞され、美学者・中井正一らが創刊した反ファシズム新聞『土曜日』を店内に置いていました。立野自身、治安維持法違反で検挙・投獄されましたが、伴侶の留志子(るしこ)が支えました。

画家の藤田嗣治(つぐはる)、俳優の宇野重吉、文学者の桑原武夫ら多くの文化人や学生が訪れました。立野夫妻と親交のあった映画監督の吉村公三郎によると、留志子は「日本必敗」を見通し、かなりの量の珈琲豆を蓄えていたので、立野が帰ってくると、すでに開店準備が整っており、戦後再開第一号になったとあります。吉村は著作『京の路地裏』で、留志子のことを優しくて芯の強い「理想の女性」と称えています。

豪華客船を模した白い天井の下、ランプと名画と静かな音楽に包まれて、〝歴史〟に想いをはせながら、ゆったりと薫り高い珈琲を味わうことができます。

いま、私たちを覆いつくしている暗い雲が一日も早く消え、天下晴れて旅ができる、あたりまえの世を引き寄せたいものです。

(注)1933(昭和8)年、京都帝国大学法学部の滝川幸辰(ゆきとき)教授らが免官された弾圧事件

▲すぐそばを流れる高瀬川

▲壁にはピカソ、コクトー、シャガール、ローランサンなどの名画の複製が