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第37録 「日本清酒発祥之地」をかかげ菩提酛の復活に成功

いい旅ニッポン見聞録2019年4月号 Vol.545

正暦寺(しょうりゃくじ)と菩提酛(ぼだいもと)清酒祭

「日本清酒発祥之地」をかかげ菩提酛の復活に成功

奈良市

▲もうもうと水蒸気を吹き上げながら米を蒸す昔ながらの甑

奈良市中心部から南に向かう山中に菩提山正暦寺はあります。奈良の大寺院は内外の観光客であふれていますが、かつて東大寺や興福寺と肩を並べたこの寺院は、わずかに本堂・客殿・鐘楼を残すのみでひっそりとたたずんでいます。

毎年1月上旬に開催

正暦寺の境内の一隅に「日本清酒発祥之地」の石碑が建てられ、毎年1月上旬には「菩提酛清酒祭」が行われます。この日は酒米を蒸す甑(こしき)が設置され、酒蔵の杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと)が、事前に準備していた酒母(しゅぼ)桶に蒸し上がった米を投入しながら酒母(酛)を完成させていきます。祭り当日はこの様子を見に観客が集まり、振る舞われた甘酒や粕汁を楽しみながら、「菩提酛」という昔の製法の解説に耳をかたむけます。できあがった酒母は参加した各蔵が数週間後に持ち帰って、その年の菩提酛酒を仕込んで販売することになります。

「菩提酛」とは?

「菩提酛」は現代の清酒製造技術の先駆となる手法で、蒸米と生米を正暦寺の裏山に涌く水につけ置いて乳酸菌発酵を進めます。この乳酸で溢れた水を酒母に添加することで、雑菌や野生酵母を淘汰して、清酒酵母の増殖をはかって酒造りをするものです。この方法は室町時代の中期に正暦寺で考案されたため、山号をとって「菩提泉(ぼだいせん)」と呼ばれ、全国で人気を博したことから、「日本清酒発祥之地」を名乗ることとなりました。

1998年に菩提酛酒を再現

清酒の起源については諸説あり、室町時代末期には現在の酒造りの手法はほぼ確立していたものの、成立時期は確定していません。したがって、各地が発祥之地を名乗っています。歴史をたどれば宮中造酒司(さけのつかさ)から京の町酒屋に、室町時代中期には奈良を中心にした寺院で造る「僧房酒」が珍重されたと伝えられます。その頃、正暦寺は120を超える堂塔・伽藍を展開し、寺領の荘園からあがる米と寺院にありあまる労働力を使い、留学僧や文献によって伝来した技術も駆使して、先進的な酒造りを行い、戦国末には南都諸白(なんともろはく)として一世を風靡しました。しかし江戸時代に入ると正暦寺は衰退して技術も失われてしまいました。

1996年に奈良県の若手酒造家を中心に「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」が県工業技術センターや正暦寺の協力を得て発足。困難を乗り越えて、1998年に再現に成功し、研究会参加蔵が「菩提酛清酒祭」にもとりくんでいます。

▲「菩提酛」の説明を受けながら作業を見学

▲境内に立つ「日本清酒発祥之地」の石碑

見聞録メモ
所在地/奈良市菩提山町157
問合せ/0742-62-9569(寺務所)
交 通/JR奈良駅からバスで天理行き、窪之庄南バス停から東へ2キロ