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第8録 真田信繁がエネルギーを充電した九度山

いい旅ニッポン見聞録2016年8月号 Vol.513

和歌山県・九度山町

真田信繁がエネルギーを充電した九度山

真田一族の伝説が残るまち
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▲「真田庵」善名称院にある資料館には信繁が愛用した槍先や鎧などの武具が展示されています

 大阪の「なんば駅」から南海高野線に乗っておよそ1時間で和歌山県の「橋本駅」に到着します。そこから山岳路線に入り、ズームカーと呼ばれる17㍍級の中型車両に乗り換え10分程度で「九度山駅」に到着します。

 九度山は、関ヶ原の合戦で豊臣方に味方した真田昌幸・信繁親子が配流され、昌幸の死後、信繁が大坂城に入城するまでくらした場所です。ここで長男大助(のちの幸昌)が生まれ、もしかすると信繁の人生で最も平和で幸せな時間だったかもしれません。

歩いて楽しい「真田のみち」

 駅を降り、商店街「真田のみち」を歩いていくと、真田の抜け穴があります。気を付けなければ工事現場? と見落としてしまうかもしれません。実際は古墳時代後期の古墳だそうですが、この穴の向こうは大坂城に続いていて、真田信繁がこの抜け穴を使って戦場へ出向いたという言い伝えがあります。大阪市内にあった真田丸の抜け穴にちなんで伝えられたものだと思いますが、厳しい監視下にあった信繁が簡単に抜け出せないにもかかわらず、大坂の陣に馳せ参じたところから生まれた伝説です。

 さらに足をすすめると、真田昌幸の墓がある善名称院が見えてきます。真田昌幸・信繁親子が蟄居していた屋敷跡に建てられ、「真田庵」の名前の方が有名かもしれません。春にはボタンが咲き乱れ、真田まつりでは武者行列のゴール地点として、賑わいをみせています。境内には屋敷に落ちた危険な雷を信繁が井戸に封じ、人々の難を救ったとの伝説がある「雷封じの井」や、当時の生活をテーマにした真田宝物資料館もあり、生活に困窮していた一族を支えた真田紐の製造具なども展示されています。

高野山へ続く祈りの道

 また、九度山の名前は高野山開祖の弘法大師空海の母が慈尊院という寺でくらしており、女人禁制の高野山から空海が月に9度母に会いにきていたことが由来です。そして、慈尊院から高野山の大門まで通じる約22㌔の参詣道を高野山町石道といい、2004年に世界遺産に登録されました。途中からは舗装もない山道が続く健脚コースです。聖地高野山へと続く祈りと信仰の道という佇まいは、他では味わえません。

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▲大河ドラマ放映に合わせ、九度山・真田ミュージアムは観光客でにぎわっていました
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▲雷封じの井には大きな石で封がされています
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▲真田の抜け穴は伝説にちなんで真田古墳と呼ばれています