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平和への思い、被爆資料を後世に 記憶をつなぐ夏

広島市職労

▲菊楽さんが企画した「大正屋呉服店」の展示

1945年8月6日の原子爆弾投下から74年。被爆地広島では平和と核兵器廃絶を世界と後世に発信するとりくみが、今年も続けられています。4月に改修を終えて全面オープンした平和記念資料館は通称「原爆資料館」と呼ばれ、原爆に特化した資料の収集と展示を行い、毎年、新しい展示にもとりくんでいます。

新たな資料も堀り起こして展示

広島市の平和記念資料館では今年3月20日~7月31日(好評につき9月末まで延長)に「レストハウス竣工90周年記念 廣島市中島本町53番地 大正屋呉服店」の展示が行われました。この「レストハウス」は平和公園内にある被爆建物で、当時の基本的形態をとどめた数少ない建造物です。もともと大正屋呉服店として建てられましたが、戦争が激しくなり、贅沢は敵だとされ商売が立ち行かなかったほとんどの呉服店とともに1943年(昭和18年)の末に閉店。被爆時は広島県燃料統制組合となっており、爆心地からわずか170メートルにあった建物は、屋根が押しつぶされ、地下室を除いて全焼。勤務していた37人のうち、地下に下りていた1人を除いて、全員が亡くなりました。

展示された当時の領収書や書類は、大正屋呉服店と取引のあった高橋呉服店が、実家の滋賀に送っていて被爆を逃れたものを借りて展示しました。

核兵器廃絶を世界に発信

この展示を企画した広島市職労の菊楽忍さんは、平和記念資料館の情報資料室に勤務し、当時の写真や市民の描いた被爆絵図、体験集などを収集してデータベース化し、ホームページへの掲載や貸し出しも行っています。「近年は、外国人の方が多く来られるので、日本語版と英語版でお知らせしています」と活動を紹介します。

「収集した資料も市民からの寄贈品が多く、『はだしのゲン』で有名な中沢啓二先生の原画もすべて寄贈していただいています」。先日も海外で原画展を行いました。「市民が持ち寄った資料を展示することで広島の平和への思いを後世にしっかりと伝えていきたい」。菊楽さんは「被爆建造物も後世へ残していくことが大事。また、情報資料室の役割を発揮するためにも、多くの人に知っていただきたい。世界に核兵器廃絶を発信するための館にしていく」と展望を語りました。

▲当時の大正屋呉服店・現レストハウス

▲平和記念資料館の本館が東館改修につづき、4月25日にリニューアルを終え、約4年半ぶりに全面オープン

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