自治体労働運動資料室

民主的自治体労働者論アーカイブ

第1回公務員インターにおける「公務員労働者の定義」

 体制の違いを超えた世界各国の幅広い労働組合によって1945年に結成された世界労連は、東西冷戦のもと、直接的には1949年のマーシャルプランの是非をめぐる対立からアメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL・CIO)などの資本主義国の反共主義的組合が脱退し世界自由労連が結成され分裂しました。
 世界労連の分裂を背景に、世界の公務員労働者は統一のための模索を行います。
 1953年10月の世界労働組合大会でフランスの公務員労働組合が国際公務員会議の開催を提唱し、第1回国際公務員会議準備会が1954年4月ウィーンで開催され、日本からも横浜市従業員労働組合の桜井氏ほか1名が参加しました。その後、同年8月に国際公務員会議日本準備会が発足し、国家公務員関係およびその他の12組合が参加しました。地方では神奈川、大阪、京都、福岡等々に地方準備会ができ、運動が全国にひろがっていきました。第2回国際会議準備会は1955年1月ウィーンで開かれ日本準備会事務局長若宮祏朝(全商工前中執)が参加しました。こうしたもとで国際公務員会議に日本代表団を送るためのカンパ活動等や日本が提案する第1議題Cの整備などの準備が行われました。

 第1回国際公務員会議は1955年4月3日~16日、ウィーンで開催されました。会議には各国からの代表者総数24カ国164名(組合員684万人の代表として)が参加しました。出席者の内訳は、世界労連加盟組合出身34組合109人、世界労連非加盟23組合55人であり全世界の公務員および関連労働者の統一と団結のための歴史的会議となりました。
 日本からの代表団は河村宏彌(団長・横浜市従委員長)、野崎勲(全農林東京議長)、上田涯三(全医労九州地協議長)、若宮祏朝(日本準備会事務局長、全商工前中執)の4名でした。
 日本からの代表団は帰国後報告集を発表します。それが「統一をめざす世界の公務員労働者」(第1回国際公務員会議議事録)です。この記録集や各組合機関誌に掲載された代表団の報告によって第1回公務員会議の内容は日本の公務員労働者に大きな影響を与えます。
 特に注目されるのは第2議題「公務員、関連労働者職員の身分を左右する、法律規則の採用、適用、改善、および擁護をめざす公務員、関連労働者職員の行動について」の「公務員労働者の定義」です。「反動は公務員労働者を政府の道具と考えているし、労働組合は公務員労働者は国民に奉仕するものだと考えている」「全公務員労働者は、その良心や自由を譲渡したのではなく、単に労働力だけを譲渡したのだということを明瞭にする必要がある」などと規定しています。
 こうした公務員インターでの議論と決定は、日本の公務員労働者だけでなく労働組合に関心を持つ知識人にも大きな影響を与えます。
 この定義を公務員労働者の国際的運動における当時の指導的経験として、みずからの運動に結び付ける努力が行われます。その顕著な表れとして、1959年からはじまり、1960年の安保反対の政治闘争と結合して大きな運動となった衛都連大賃金闘争から全国公務員労働者の賃金闘争の高揚が挙げられます。このたたかいを経て、衛都連は1963年に「行動綱領草案」を作成します。
 この「定義」に示された公務員労働者の基本的立場は、憲法に明記された「国民全体の奉仕者」とともに民主的自治体労働者論の基本となる重要な規定となっていきます。

カテゴリー:
民主的自治体労働者論
年代:
1950年代