自治体労働運動資料室

民主的自治体労働者論アーカイブ

衛都連行動綱領草案

 大阪の衛星都市は戦後の高度経済成長期、1955年から1960年代にかけて急速な都市化を経験します。急速な都市化による人口膨張、住宅難や都市基盤・住民福祉の整備の遅れ、住宅運動の発生などに代表される住民運動の発展、都市財政の危機などの矛盾が集中的に表れます。こうした歴史的背景のもと、しかも労働基本権がはく奪された公務員労働者の労働組合運動は、おのずから独創的な創意が必要となったといえます。(「衛都連25年史」より)。
 1953年から1957年に衛都連は大きな転換期を迎えます。急速な都市化による矛盾の表出、職場の非民主的運営の復活は、職場の変革へのエネルギーを蓄積し、変革の担い手としての青年活動家を生み出す土壌となりました。衛都連は1954年1月、再び連合体組織となりますが、その幹部にはのちに民主的自治体労働運動において大きな役割を果たす青年労働者が登場しています。
 青年活動家が登場し、彼らが古参の活動家と衝突しながらも強いイニシアチブを発揮して次第に組合執行部の主流となる中で1958年~1961年、歴史的な衛都連賃金闘争がたたかわれました。1958年には勤評反対闘争と警職法反対闘争がたたかわれ、衛都連も関西地区における政治的統一行動の先頭に立っていました。1960年にかけて全国民的な三井三池闘争と安保闘争が空前の規模でたたかわれます。衛都連賃金闘争を支えたのはこうした国民的な大闘争でした。
 歴史的な政治闘争、賃金闘争をたたかった衛都連は1962年から多くの専門家の協力を得て、1年の月日を費やし「衛都連行動綱領草案」を作成しました。「草案」討議には1500人の組合員が参加したといいます。
 「行動綱領草案」は、当時の自治体労働組合運動として画期的な文書であり、民主的自治体労働者論の発展への基本方向を示したものといえます。
 大賃金闘争、政治闘争の経験とともに、「衛都連行動綱領」に大きな影響を与えたものとして、第1回公務員インターで提起された「公務員の定義」、とりわけ「反動は公務員労働者職員を政府の道具として考えているし、労働組合は国民に奉仕するものだと考えている」があります。

 「衛都連行動綱領草案」策定にはその後日本の労働運動発展を支える多くの分野の人々がかかわっています。「衛都連25年史」には作成に協力した専門家集団として黒川俊雄(慶応大学)、嶋津千利世(夫人問題研究家)、辻岡靖仁(関西勤労者協会)、戸木田嘉久(立命館大学)、野上潤(労働問題研究家)、花原二郎(法政大学)、堀江正規(経済学者)、向笠良一(大阪市立大学)らの名が挙げられています。また、専門家集団を組織し綱領案作成に導いた存在として堀江正規を特記しています。

カテゴリー:
民主的自治体労働者論
年代:
1960年代