自治体労働運動資料室

民主的自治体労働者論アーカイブ

自治研活動の開始(自治研活動のてびき)

 1949年の経済9原則にもとづくドッジラインの実施は、それまで戦後一貫していたインフレ経済を一挙にデフレ経済へと転換させました。この結果地方財政は交付税が半減され、民生費が圧迫され、起債が増大する等、深刻な財政危機にみまわれます。特に朝鮮戦争による特需が終わった1951年以降深刻で、1951年には764団体で赤字総額102億円、これが年々増大し52年には2596団体310億円、53年には1685団体462億円、54年には2247団体649億円となります。自治体労働組合はこれに対して「自治体防衛闘争」を掲げてたたかいますが、全国各地で行政整理という名の定数削減=解雇が行われていきました。
 政府は1955年、地方財政再建促進特別措置法を制定。これによって1955年度は18都道府県、172市、414町村の合計604団体が赤字再建団体となりました(全自治体比12.7%)。

1955年における実質的赤字団体は都道府県46中36、市492中317、町村1202中560であり約4割の自治体が実質赤字団体であった。

 自治労はまさに地方財政危機のさなかに結成されたことになります。結成されたばかりの自治労にとってこの問題は大きな試練でした。「自治労運動史」によると、1954年には全国で2万6千名余りが「行政整理」の名のもとに退職強要を受け、自治労は地方自治防衛闘争として「首切り反対」「住民と労働者にしわよせする財政再建反対」のたたかいを全国でとりくみます。しかし、この運動は、当時の自治労がもっていた特定政党支持や住民運動を自治体労働者の闘争の「手」として利用するなどの弱点により大衆的な発展にいたりませんでした。
 このたたかいのなかで、財政再建問題をその本質においてとらえようとする志向が生まれ「地方自治研究集会」の開催が構想されていきました。自治研活動には1951年から開かれていた教研集会の影響も大きかったといわれます。
 1956年5月、自治労第7回中央委員会は、それまでの「地方自治防衛委員会」を中心とする地方自治防衛闘争に批判的検討を加え、自治研活動を推進する方向を採択します。
 そして、1957年4月、甲府で第1回地方自治研究全国集会を開催します。「自治体は住民の要求にどう応えているか」を中心テーマに、「職場から見た地方行政の実態はどうか」「なにが自治体労働者と住民の結びつきを妨げているか」「その解決方向はどうか」など、住民闘争における自治体労働者の独自的役割を探る討議が始まります。
 「民主的自治体労働者論」第1章でもふれられているように、自治研集会は積極的な側面を持ちながら、当初からこの集会を「住民のための地方自治をつくりあげ民主主義を一層発展させるための自治労の運動」と規定し、特定政党支持の誤った路線によって自治労方針の民主的な学者、研究者を助言者団から排除していくなど、その発展は大きく阻害されていくことになります。
 添付した資料は「新版自治研のてびき」(1961年3月)の「理論編」からの抜粋です。

カテゴリー:
民主的自治体労働者論
年代:
1950年代