自治体労働運動資料室

民主的自治体労働者論アーカイブ

【エピソードD 給食祭りの取り組み】「4回全国給食シンポジウム」等から

 給食まつりの花を咲かせるために、自治労連は一関、防府、広島、松山に花の種を撒きました。まかれた種は、それぞれの地元の仲間によって育てられ、全国に見事な花を咲かせました。
 自治体リストラの嵐の中でも、しっかりと根を張り見事に咲いた協力協同の花を見に、多くの地元住民が足を運びました。そして多くの自治体の仲間が会場を訪れ、その素晴らしさに心を動かし、「きっと自分の街でもこの花を咲かそう」と心に誓い、地元へ戻っていきました。
 2004年5月、伊東で開催された現業評全国学習交流会の給食分科会の席上、「給食まつりや親子クッキングなど、給食に関わる1自治体1共同の取り組みを実施したという人は手を挙げてください」と会場に問いかけると、数えきれないほどの多くの手が一斉に上がりました。まっすぐにのびた多くの仲間の手。全国に咲いた給食まつりの花でした。
給食まつりを初めて取り組む仲間のほとんどは、自分たちが行う給食まつりがどんなものかを具体的にイメージできず、不安を抱いたまま当日を迎えます。そして給食まつりが始まって1時間、会場を埋め尽くす住民の多さに目を見張り、「これが給食まつりなのか」と初めてわかるのです。
 給食まつりは、当日を迎えるまでの困難が多ければ多いほど、感動的な団結を職場や単組に残します。職場内や単組内にあった不和を住民の波が一度に押し返してしまい、「やって良かった」という実感を仲間の心に残します。ベテラン役員はかつての自信を取り戻し、若手組合員は組合の存在意義を改めて実感します。給食まつりは新たな人材を確実に育て、そこに集まったすべての人を元気にします。そして給食まつりで住民共同を広げる中で、全国で現業職員の新規採用を実現させています。


君津市職の取り組みの紹介

“いい給食を届けたい”熱い思いと実践で 5年ぶりに調理員採用を実現―君津市職・調理員
 千葉県君津市でも、現業職員がなかなか採用されず、各職場に正規職員が少なくなり、早期退職者も増え、さらに正規職員が減っていくという悪循環が続いていました。
 君津市職は、これまでも「現業職員は現業専門職だ」「現場に正規職員がいてこそサービスの充実が図れる」「せめて今年度の退職者の補充を」と交渉のたびに訴えてきました。しかし、当局は「現業職員は原則採用しない」との態度を変えず、非常勤・臨時職員への置き換え、人員削減が進められてきました。
 そうした中でも保育園調理員は、年4回全13園の調理員が参加しての自主研修会や子どもたちがどうしたら嫌いな野菜を食べてくれるか、与えられた食材で行事食をつくる独自研修会などに取り組み、アレルギー児への対応では、除去食であっても少しでも子どもたちに食べてもらえるよう細心の注意を払い、栄養士のつくる献立から、いかに与えられた賄い費で少しでも新鮮で美味しい食材を購入できるかを考え、発注し、出入り業者とも交渉を重ねてきました。
 東日本大震災による福島第一原発の事故後の計画停電は経験したことのない事態で、給食を作れるのかと誰もが不安になりました。しかし、即座に園長と相談し、各園の調理員とも連絡を取り合い、停電時はガスを使う、早期出勤なども行いながら、栄養士と共同したメニューを作り替え、パート職員にも協力してもらい、一日も休まず、手作り給食を出し続け、保護者から大変感謝されました。また統合による大規模化と民間委託が狙われている学校給食センターでも「一品でもいいから温かい給食を」の思いで教育委員会と交渉し、非正規職員もローテーションを組み換え、4月の始業式翌日から給食を出し続けました。
 一方で、近隣市町村では民間に委託した学校給食センターは、計画停電に対応できないと会社に言われたとして、4月いっぱい給食は出せませんでした。このことが彼女たちに、「直営でこそ」の思いを新たに、そして一層強いものにさせました。
 こうした中で、年度末で7名の現業職員、中でも4名の調理員が退職するという現実を前に、組合では今年こそ何としても現業職員の採用を勝ち取ろうと議論を重ね、統一レジメを使っての職場学習会、ニュースの発行、交渉参加者の点検などに取り組み、保育士からは短時間にもかかわらず数多くの採用を求める寄せ書きを作成してもらいました。
 こうして臨んだ副市長を相手とした2回の交渉には、多くの非正規調理員や保育士も含め、延べ100名を超す組合員が参加し、交渉会場は寄せ書きで埋め尽くされました。
 初めて副市長の前で発言した、5年目の若い調理員が、手足も声も震わせながら「先輩の背中をずっと見てきた。野菜嫌いの子どもたちが私たちの工夫した給食で野菜好きになっていく。調理員が大好きになりました。先輩から教わってきたことを次の世代に伝えたい。ぜひ後輩を採用し、技術を受け継がせてください」などと訴えると、交渉参加者から大きな拍手が沸き起こりました。こうした努力と現場の子どもたちへの思いがトップを動かし、調理員としては5年ぶりの3名の採用を勝ち取りました。