原発事故からの復興めざし、自治労連が義援金を届け、被災自治体を訪問(6/13~14)

 自治労連本部と福島県本部は6月13日、14日、福島県内の自治体を訪問し、全国の組合員から寄せられた義援金を届けるとともに、憲法キャラバンの一環として、原発事故からの復旧の現状、住民の暮らし、職員の仕事、今後のまちづくりなどについて懇談しました。福島の被災自治体の訪問は、5月30~31日に続く取り組みで、今回は、大熊町、郡山市、葛尾村、田村市、いわき市、楢葉町、広野町、川上村の8市町村を訪問しました。

◆復興計画づくりアンケートに町民の65%が回答(大熊町)

 大熊町では、渡辺町長らと懇談しました。福島第1原発1号機~4号機が立地する大熊町は、町の全域が立ち入り禁止である「警戒区域」に指定され、約1万1千人の町民全員が避難生活を強いられています。町民は県西部の会津若松市と県東南部のいわき市、県外などに分かれて、仮設住宅や町が借り上げた住宅で避難生活をしています。役場の本庁舎は、会津若松市の元高校校舎を借りて設置しています。
 町長は「全国のみなさんからの支援に励まされます。避難生活が1年3ヶ月を超えました。町民も職員も先が見えないストレスの毎日で、とても収束宣言どころではありません。職を失った人が多く、働く意欲をなくしてしまう人が出てくるのが心配です」と語り、除染事業などで町民の仕事を確保する等、雇用対策にも力を入れています。
 町では「復興計画第一次素案」をつくるために町民アンケートに取り組んでいます。中学生以上の町民約1万人を対象に実施したところ、65%の回収を得ました。「たとえ時間はかかっても、大熊町の絆を大切にして、町民の声が反映できる復興計画をつくりたい」と町長は語りました。

◆震災での職員の奮闘に、市民から「見直しました」の声 (郡山市)

 郡山市では、原市長らと懇談しました。震災で市内の多くの建物が倒壊する被害を受けた郡山市は、市役所の本庁舎も倒壊し、職員は分庁舎、仮庁舎に分かれて仕事をしています。来年4月の完成に向けて現在、耐震工事が行われています。
 震災では、郡山市民の避難者を避難所だけでなく、原発事故で周辺市町村から避難してきた住民を含む約1万人を避難所に受け入れて生活を支援してきました。
 野村委員長が「これまでにも福島県内の被災した市町村を訪問して来ましたが、どの市町村も郡山市さんが避難した住民を積極的に受け入れてくれたことに感謝をしていました」と伝えると、市長は「被災者の受け入れでは職員のみなさんが本当に頑張ってくれました。市内約100カ所の避難所で市民の生活をサポートしてくれたたのですから。市民からは『職員を見直しました』という声も寄せられています」と応えました。
 市では「復興計画」を策定し、放射性物質の除染、防災体制の再構築をはかるとともに、住宅用太陽光発電システムを導入する住民に費用を助成するなど、再生可能エネルギーを普及する事業も始めています。

◆小さな村のコミュニティを大切に復興をなしとげたい(葛尾村)

 葛尾村では、松本村長らと懇談しました。村内の大半が「警戒区域」に指定され、全村民が村外で避難生活を続けており、村役場も隣接する三春町の公共施設に置いています。
 「村の生活がズタズタにされました。村民も職員も心労で、気の休まることがありません」と村長は言います。葛尾村は村民人口(約1400人)の3倍の頭数の家畜牛を飼育するなど、震災前は畜産業が盛んな村でした。自然も豊かで、都会から移り住む住民もいて、人口は横ばい状態を保っていました。豊かな自然環境と畜産業を生かす村づくりを進めようとしている矢先に、突然引き起こされた原発事故でした。「あの事故さえなかったら…」と、村長は無念の思いをしのばせます。
 復興では、村の面積の80%を占める山林の除染が大きな課題になっています。「山林を汚染している放射性物質は、そこに留まらず住宅地にも飛散します。しかし国は、山林についての十分な除染方針がない」と言います。村民は厳しい避難生活が続いていますが、県外への避難者はごくわずかで、村民の85%が葛尾村周辺の市町村に留まって生活をしています。「合併をせず、村民のコミュニティを大事にしてきたからだと思います。小さな村でよかった。一刻も早く除染を終わらせて、もとの村にもどしたいです」と村長は語りました。

◆市民の不安を払しょくするのが行政の責務です (田村市)

 田村市では冨塚市長と懇談しました。田村市は2005年に平成の合併で5町村が合併して生まれた市です。原発事故で市内の旧村の一つが「警戒区域」に指定され、家族がバラバラになって避難生活を続けている市民がいます。「これまで3世代で仲良く暮らしていた家族が、おじいちゃんやおばあちゃんと離れて避難生活をしなければならなくなりました。最近は、久しぶりに孫と再会しても、よそよそしくなって、以前のように『おじいちゃん!』と言って懐かなくなったという話を聞ききます。お年寄りにとってはつらいことです。家族バラバラの避難生活が長引いて、心までが分断されてしまったのですね・・・」と悔しさをにじませます。
 「震災からまちを再建するためには、何よりも雇用と産業対策が必要です。原発をなくすといっても、そこで働いている人たちの雇用を考えなければなりません。本市の公共事業も、地元の業者に発注して市民に雇用の場を確保できるように努めています。地元の業者はよその企業とは違って、けっして地元を裏切るようなことはしませんから」と冨塚市長。
 「市内は今後、放射性物質の被害に応じて3つの区域に区分されますが、あらゆる人が同じレベルで生活ができるようにしなければなりません。人は苦しむために生まれてきたのではありません。誰もが幸せになるためにみんな生きているのです。1日も早く市民の不安を払しょくするのが国とわれわれ行政の責務ですから」と、市長は力強く復興への思いを語ってくれました。

◆近隣町村からの避難者も受け入れ、復興をめざす(いわき市)

 いわき市では鈴木副市長らと懇談しました。県南東部の海域に面するいわき市は、地震、津波、原発事故の三重の被害に遭いました。死者は310人、行方不明者は37人にのぼっています。原発事故の直後、市民が市外に避難する中、多くの市職員は不安を抱えながらも職場に踏みとどまり、災害の現場にも駆け付けて被災者を救援しました。「あの時の職員の働きぶりはすばらしかった。公務の仕事の重要性を、見直す機会にもなった」と言います。
 3.11の震災に加え、翌4月11日には市内を震度6の地震が襲い、2度の災害で9万件の罹災証明書を発行するなど、東北では仙台市に次ぐ大規模な災害となりました。その一方で、原発事故で市外から避難してきた約23000人の住民を、市内の公共用地を仮設住宅に提供するなどして受け入れており、市の人口は震災前より増加しています。市内には原発事故関連の業務に従事する人も滞在しており、市内のホテルは連日満室で「一時的なバブル状態」にあると言います。しかし、年間1000万人を超えていた観光客が昨年は300万人まで激減し、漁業は操業の全面停止に追い込まれています。「本市は、市民の被害が甚大だったにも関わらず、他市からの被災者も多く受け入れています。この事情を国と県は理解して支援を強めてほしい」と言います。野村委員長は「被災者の支援は、市町村の力だけでは限界があります。国も県も、いわき市の現状を受け止めて、必要な支援を行うべきです。復興に向けて、私たちも国や県に要望をしていきます」と語りました。

◆全町民が避難生活。職員が足りない。町民の心のケアも(楢葉町)

 楢葉町では、環境防災課長補佐らと懇談しました。町の全域が「警戒区域」に指定され、町民の7割が隣接するいわき市内に避難。役場も、いわき市内にある大学構内を仮庁舎にしています。「通常では考えられない状況。将来が見えないのが不安です」と防災課長補佐は言います。原発事故の際、国や県から何の情報も指示もない中、町独自の決断で全町民を町外へ避難させ、安定ヨウ素剤も職員が夜を徹して町民に配りました。「町の判断で避難指示を出すのはリスクが大きく、相当な覚悟が必要でした。でも原発立地自治体として、町民の安全を守る責務があると考えたから決断をしました」と言います。野村委員長は「町として自ら判断して行動し、原発事故では一人の命を失うこともなく、町民を守ったことはすばらしいことだと思います」と答えました。
 約100人の役場職員は、通常の業務に加えて、震災と原発事故の対応に追われ続けています。「土木技術職員を長崎県の壱岐市や経済産業省から派遣してもらうなど、全国から職員派遣の応援を頂いていますが、まだまだ足りません。町民の中には心のケアが必要な人が多く、今後は医療関係の職員も必要です」と語りました。

◆9月から小中学校が町内で授業再開。一歩前に進みました(広野町)

 広野町では、芦川教育長らと懇談しました。原発事故発生後、役場を町外に移転し、町民も全員が町外での避難生活を続けていましたが、3月末で避難指示を解除。4月から役場機能を町内に戻し、小中学校も除染を終え、9月の2学期から町内で授業を再開します。
 「やっと一歩前へ進められるようになりました。子どもたちを学校に迎える準備も進んでいます。子どもたちの元気な声が聞こえないと、まちも元気になりませんから」と、教育長。避難指示は解除したとはいえ、引き続き町外の仮設住宅で生活する町民も多く、避難先の役場窓口は引き続き設けています。住民に貸与している公営住宅のうち、一戸建ての建物は5年後に住民が希望をすれば買い取ることができる制度があり、町ではこの制度を活用することも検討しています。
 「町民がもとの場所に戻れるようになったと言っても、原発事故は収束していません。まだ火種は残っていますからけっして安心はできません」と教育長は不安な思いを語ります。野村委員長は「国は根拠のない楽観論を振りまくのではなく、科学と英知を集め、除染対策をふくめて全面的なバックアップをするべきです。早く町の除染を終わらせて、住民のみなさんが一日も早く安心してくらせる環境を取り戻しましょう」とのべました。

◆村民に希望と光を示すのが行政の役割。将来は、この村からノーベル賞受賞者を」(川内村)

 川内村では、遠藤村長らと懇談しました。村は3月末で避難指示を解除し、村は「帰村宣言」を発表。役場も4月より元の場所に戻しました。約3000人の村民のうち、4月で510人、6月で650人と帰村が進んでいますが、今なお1600人以上の村民が郡山市やいわき市に避難しており、県外に避難している村民も400人以上に上ります。役場の窓口職場には、「すべては村民のために」と書いた大きな横断幕が掲げられています。
 村では、村内の除染作業に150人の村民が従事するなど雇用の場もつくっています。村民に委託料を払い、農地の除染をすれば労賃が入るようにするなど雇用対策も始めています。
 野村委員長は、「働くことは人間として重要です。復旧・復興に住民自ら参加をする、その労働に対価を払うことは素晴らしい試みです。ぜひ広げたいですね」とのべました。
 「こんな時だからこそ、行政は村民に希望や光を示していくことが必要です」と村長。「村に働く場をつくり、子どもが育つ環境を取り戻して、将来はこの村からノーベル賞を受賞する人を輩出できたらいいですね」と希望を語ってくれました。