日本母親大会連絡会

説明
1954年、アメリカの水爆実験でマグロ漁船員の久保山愛吉さんが「死の灰」を浴びて亡くなりました。広島、長崎につぐ三度目の被爆に母親たちは「原水爆をなくせ」の署名運動に立ち上がり、全国に広げました。1955年日本の母親の声は平塚らいてうさんたちによって国際民主婦人連盟に届けられ「原水爆から子どもを守ろう」と世界母親大会の開催が決まりました。それに先立ち6月、第1回日本母親大会が東京で開かれ、日本各地の炭鉱や農村からも、1円募金などで送り出された2000人の母親が集まりました。以来今日まで、毎年大会を開きつづけ、”母親が変われば社会が変わる”と母親・女性の願い実現のためにねばりづよく運動をすすめています。