「企業の利益より人のいのちが大事にされる社会に!」

~自治労連女性部福島応援ツアー、「福島の今と未来」を学ぶ

7月19~21日(土~月)、自治労連女性部は福島の浜通り地域を訪れ、原発事故後の状況ととりくまれている運動を学ぶツアーを行いました。

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   19日に行われた女性部全国代表者会議を終え、夕方に東京を出発した一行は、福島駅到着後早速夕食交流会を行い、福島自治労連の笠原委員長の歓迎挨拶をいただきました。

Exif_JPEG_PICTURE 翌日は9時より「福島復興共同センター子どもチーム」の村上さんから、市内の子どもをめぐる状況についてお話を伺いました。放射能の影響についても諸説が飛び交うなか、迷いながらも県外に移転する人、ここで生活することを選ぶ人と分かれているが、どのような選択をしてもそれを尊重し、応援してほしいとの言葉が心に強く残りました。

 

 

Exif_JPEG_PICTURE 続いて2日目から参加のメンバーと合流してバスに乗り込み、総勢38名で浜通りに向かいました。全村避難となった飯館村を通り抜け、原発20キロ圏内の南相馬市小高区、浪江町などを視察。海岸に近づくにつれ、あたりは草が生い茂る中に車や漁船がころがり、一階部分ががらんどうになった家屋やがれきの山が点在するという、震災直後から時間が止まったままの風景が広がってきました。ここで線量計を取り出し測定すると、0.1マイクロシーベルトをわずかに上回る程度と、意外に低い数値。この地区は、現在では線量はそれほど高くないが、再度の原発事故が起きた場合を想定し警戒区域とされているのです。

 

 Exif_JPEG_PICTURE 浪江市役所に続く通りは、日中のみ帰還が認められているとはいうもののほとんど人影もなく、ちょうど私達があとにしようとした時、滞在許可時間の終了を告げるアナウンスが流れていました。続いて向かった「希望の牧場」は、殺処分を命じられた牛の命を全うし今後の研究にも活かすため、踏みとどまって運営している所です。何十頭もの牛が草原に放たれ一見平和な光景ですが、線量計の針は大きく振れて3マイクロシーベルト以上を記録し(一般人の平常時被爆限度量は、1時間あたりに換算すると0.114マイクロシーベルトと言われている)、背筋に冷たいものが走りました。説明では、白い斑点が現れた牛もいるなど、放射能の影響が疑われるとのことでした。

 

 image007 相馬市松川浦の宿に到着後、今度は「生業(なりわい)を返せ 地域を返せ」訴訟の原告団長の中島さんのお話を伺いました、この訴訟では、事故前の状態に回復させるまでは慰謝料月5万円を支払う事を求めているが、真の狙いは賠償でなく、国と東電に責任を認めさせ、全ての原発廃炉をめざしている。ドイツでは、事故補償が膨大すぎて国家財政の破綻を招くことが、エネルギー政策転換の大きな理由となった。日本の政府にもそれを迫りたい。既に原告は3000人に達しており、人のいのちより企業の利益が優先される政治を変えるため全国からの支援をお願いしたい、との意気高いお話に一同感銘を受けました。

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  image008 翌21日は、農民連の直売所「野馬土」で、お米の放射能検査について聞くとともに買い物。国からの補償金㎏あたり441円のうち、220円を検査に運んできてくれた人に支払っているので、米が確実に集まるしくみができ、安全性が保障されているとのことでした。
  
 その後、相馬市大野台の仮設住宅内の福祉センターで、入居されている三人の男性から津波の時の写真も見せていただきながら、市と交渉して造成地に120戸ほどの宅地を保障させたこと、しかし町からは離れ車のない高齢者は買い物に困ることなどお話を聞かせていただきました。また漁師だった方は、津波の時とにかく船を救おうと沖合に避難したが、そのため別れ別れになってしまった妻を亡くしてしまった、放射能汚染の可能性のため漁も再開できず、あのときの選択を悔いているお話などをしてくださいました。

 

Exif_JPEG_PICTURE 昼食後福島駅に向かい、解散となりました。アンケートでは、「個人では行けないところに行け聞けない話を聞かせていただき、本当にこの旅を企画してもらったことに感謝している」「お話をされた方が前向きに立ち上がり、国や行政を動かしていることに感動した」「見聞きしたことを周囲に伝え、自分にできることを考えていきたい」という感想が共通し、生活再建を支援し、原発からの脱却をめざす運動をひろげる決意を固めるツアーとなりました。