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原水爆禁止2015年世界大会-広島

核兵器のない平和で公正な世界のために―被爆70年を核兵器廃絶の転機に 

 広島市、長崎市への原爆投下から70年を迎える2015年世界大会は、広島、長崎両市を主会場に8月2日から9日までの通し日程で開催され、自治労連からは猿橋委員長代行を始め全国の単組から代表が多数参加しました。世界大会の名にふさわしく大会を通して20か国から147人の海外代表が参加しました。

[国際会議(広島)]

image009 8月2日から4日まで「国際会議(広島)」が開催され、被爆者や全国各地の日本の代表、海外代表も多数参加して熱心な議論が行われました。

 国際会議の初日、8月1日までに、オーストリア共和国ハインツ・フィッシャー大統領、ブラジル連邦共和国ディルマ・ルセフ大統領、アイルランド共和国マイケル・D・ヒギンズ大統領、ラオス人民民主共和国チュンマリー・サイヤソーン国家主席の4人の国家元首から世界大会にメッセージが寄せられたことが発表されました。

 沢田昭二原水協代表理事が主催者報告を行い、続いて第1セッション「広島・長崎の原爆被害とヒバクシャのたたかい」では、広島と長崎、韓国の被爆者3人が報告を行い、第2セッション「核兵器全面禁止条約、核兵器のない世界、平和運動と市民社会の役割」では、アメリカフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソン氏などからNPTを受けての今後の運動の展望が語られました。第3セッション「核兵器のない世界へ:核抑止力論の克服、紛争の平和的解決、安全なくらしと環境」でも国際平和ビューローのコリン・アーチャー氏らからの特別報告を受け、活発な討論が行われました。

 二日目に行われた、分科会では松原秀一中央執行委員が第2分科会「核兵器全面禁止条約、核兵器のない世界、平和運動と市民社会の役割」の共同議長を務めました。また、松原中執は「この間の自治労連としての平和運動の取り組み」についてスピーチしました。

 最終日閉会総会で、「国際会議宣言」が採択され、三日間の会議が終了した時、執行議長の千坂純氏から「たったいま嬉しいニュースが飛び込んできました。沖縄辺野古の工事が1か月停止することになりました。」と発表されると会場中が大きな喜びの拍手に包まれました。

 

[世界大会-広島]

[開会総会]

 8月4日2015年世界大会開会総会が、広島県立総合体育館で開かれ、3300人が参加しました。

 小田川義和全労連議長が開会宣言を行い、冨田宏治関西学院大学教授が主催者あいさつを行い「核保有国の頑迷な抵抗にもかかわらず、核兵器の全面禁止条約を締結せよとの流れは、後戻りできない確かな流れだ。」と述べました。

 政府代表インドネシア国連代表部のムハンマド・アンショル常駐副代表は「みなさんがNPT再検討会議に向けて行動したことは心強い励ましでした。」と日本の市民社会の運動に感謝の言葉が述べられました。

 被爆者を代表して日本被団協の坪井直代表委員が介助を受けながら登壇し「20歳の学生で通学途中で被爆」した当時の様子を話し「90歳となりましたが、命あるかぎり皆さんと一緒にがんばります。」との発言に会場は大きな感動に包まれました。

 来賓のあいさつに立った俳優の宝田明さんは、旧満州のハルピンから日本に引き揚げるまでのつらい戦争の体験を語り、自らが主演した映画「ゴジラ」にまつわる日米での秘話を話した後、今の日本の現状にふれ「日本は被爆国であり、憲法9条を持ちながら」「なし崩し的に危うい時期に差し掛かっています。」「安倍さんに申し上げる。もう白旗をあげなさい。」と述べ、最後に平和への願いを込めた自作の歌を朗々と歌い上げ会場中が魅了されました。

 自治体関係者では、広島市の松井市長のメッセージを市民局長が代読し、大阪府高石市の坂口伸六市長が登壇して連帯のあいさつを行いました。

「核兵器のない世界を―次のステップへ」と題して、参加者が次々に登壇してNPT再検討会議への参加報告や、アピール署名に協力しなかった首長の姿勢を運動の力で変えた釧路原水協の報告、沖縄の島ぐるみのたたかい、米軍横田基地へのオスプレイ配備反対のたたかいの報告などが行われました。

開会総会のフィナーレには、この日平和記念公園に集結した国民平和大行進の参加者が登壇し、91日間の通し行進で「242万7205歩」と報告し、大きな歓声に包まれました。

 [分科会]

 二日目の5日は、フォーラム「核兵器のない世界の実現を-政府とNGОの対話」と12の分科会、「被爆電車に乗って」などの5つの動く分科会が行われました。この内、第5分科会「非核平和の自治体づくり」で福島功副中央執行委員長が分科会責任者・助言者を務めました。第5分科会では、核兵器全面禁止に背を向け、「核の傘」依存を続ける日本政府の下で、憲法をいかし守る運動や、核兵器廃絶の世論を広げて行く上で、自治体の果たす役割と、その自治体に働きかけて行く各地の運動の経験が語り合われました。

 [広島市職員原爆犠牲者慰霊献花行動]

 被爆70年を迎えた8月6日午前9時より、広島市役所慰霊碑前にて、自治労連と広島市職労の共催企画として献花行動が行われました。自治労連本部からは、猿橋均中央執行委員長代行と福島副委員長、水谷女性部長、松原中執、鹿野書記が参列し、地元広島自治労連始め全体で約30名の参加がありました。

 福島副委員長の司会で黙とうした後、猿橋委員長代行が主催者あいさつを行いました。猿橋代行は「NPT再検討会議の結果を踏まえ核兵器のない世界の実現に向け、更に運動を強めて行くこと、そして、安倍政権の進める戦争する国づくりを断じて許さないことを、私たちの先輩である犠牲者の方々の碑の前で改めて誓おうではありませんか。」と述べられました。続いて、広島市職労金子委員長より、被爆当時の市役所周辺の様子や惨劇の状況が語られました。そして参加者による献花を行い行動を終了しました。

[被爆70年ヒロシマデー集会]

 6日午前10:30から広島県立総合体育館にて、「被爆70年ヒロシマデー集会」が行われ5500人が参加しました。この日の共同議長の一人を広島市職労の木下克己書記長が務めました。

 被爆70年を記念する集会として、70年前の広島と長崎の原子爆弾による惨劇を受けながら、国による全面補償と核兵器のない世界を求めて、苦しみの中生き続けてきた被爆者のみなさんを称え、その生きてきた軌跡に学ぶ場として位置付けられた集会として行われました。

 この日、広島市平和記念式典に参列した後、国連軍縮問題担当上級代表代行のキム・ウォンス氏が集会に参加し、「5年前に事務総長が述べたように、広島が永久に教え続けている教訓とは、核兵器のない世界の実現は、私たち共通の責任であることです。広島、長崎の被爆から70年、いま、この責任を受け止めようではありませんか。」とあいさつされました。

 ノーベル平和賞の候補となった2人の被爆者の方からの訴えがありました。広島で被爆し現在カナダに在住のセツコ・サーローさんが車いすに乗って登壇し、自らの被爆体験と現在の安倍政権の戦争する国づくりを厳しく批判し、「核兵器のない平和と正義の世界のために一緒にたたかいましょう。」と力強く訴えられました。そして、もう一人長崎市在住の日本被団協代表委員の谷口稜嘩さんがビデオメッセージを寄せられました。高齢となり直接の参加が叶わなかった谷口さんも、自らの被爆体験を語りながら、病床にありながらも命ある限り訴え続けて行く決意が語られました。

 日本共産党の志位和夫委員長や海外代表のあいさつ、歌手のクミコさんによるミニコンサートのあと、ヒロシマデー集会は「広島からの呼びかけ」を採択し、会場全体での「ウイシャルオーバーカム」の合唱で幕を閉じました。

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