いいとこよりみち発見伝2015年10月号 Vol.503

島根県・大田市石見銀山遺跡

世界と日本に大きな影響与えた石見銀山

世界遺産の銀鉱山跡・鉱山町・街道と港
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▲大森代官所跡、石見銀山資料館でははじめに寄るといいですよ

 島根県の石見(いわみ)銀山遺跡は、2007年7月に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に登録されました。銀山の間歩(まぶ)(銀鉱石を採掘するための坑道)のある「銀鉱山跡と鉱山町」だけでなく、銀鉱石や物資を運んだ「石見銀山街道」、銀や銀鉱石を積み出した「港と港町」の3エリアが登録されており、マイカーかバスで見て回るのが一番です。

 今から700年前、周防(山口)大内氏の守護神のお告げで、仙ノ山に銀を発見したという伝説があります。本格的な銀山開発は、戦国時代1526年に九州博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)によって始まりました。7年後には新しい銀の精錬法「灰吹法(はいふきほう)」を導入し、採掘も露頭の銀鉱石採掘から、地中の銀鉱脈に真横から掘り間歩を開く方法が主となり、良質な銀の飛躍的な増産がはじまります。

 石見には大小600余りの間歩が点在しています。当時の日本は、灰吹法の技術が石見から各地の銀山に広まり、世界でも有数の銀産出国となりました。

 銀山は莫大な軍事資金の山。出雲の尼子、安芸の毛利、周防の大内の三大勢力が石見銀山をめぐって争奪戦を繰り返してきました。この頃、ポルトガルやスペインがキリスト教の布教と貿易のためにアジアに進出してきました。ポルトガルは、日本の銀を使って莫大な利益を得ましたが、日本に鉄砲を伝え、キリスト教、服装や食べ物などヨーロッパ文化を伝えるなどして南蛮文化が花開きます。

 大航海時代の16世紀半ばから17世紀はじめには、世界の銀産出量の約3分の1を占めた日本の銀、そのかなりの部分が石見銀山の銀だと考えられています。当時のヨーロッパ人が描いた日本地図にも石見銀山が記載されているのです。

 石見銀山は、戦国時代から江戸時代初期にかけて最も繁栄し、ヨーロッパの産業革命の新技術が導入された頃、銀鉱石が枯渇してきたため鉱山活動は停止していきました。その結果、石見銀山跡地には、鉱山開発の伝統的技術による銀生産の跡が今日まで良好に残されたのです。

よりみちメモ

【石見銀山世界遺産センター】
入館料:大人300円、小中学生150円
休館日:毎月最終火曜日・年末年始
交通/電車:JR山陰本線大田市駅から路線バスまたは、広島駅から路線バス・石見銀山号(広島新幹線口または広島バスセンター)、センターから大森代官所跡へのバス(平日30分、土日祝15分間隔)、車:山陰自動車道(出雲IC)、中国自動車道(三次IC)などから一般道利用
所在地/〒694-0305島根県大田市大森町イ1597-3
問い合せ/0854-89-0183

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▲江戸時代の建物が多く、古民家をいかしてショップやカフェも。最奥に見えるのが仙ノ山