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自治体の仲間

 

2010年4月号 Vol.437

日本列島 おどろき・おもしろミュージアム
第100館
静岡県焼津市 焼津小泉八雲記念館
八雲が愛した焼津の海・ひと・町
 明治の文豪・小泉八雲、元の名はラフカディオ・ハーン。明治23(1890)年に来日し、54歳で亡くなるまでの14年間を日本で暮らしました。
 アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれた八雲が新聞記者として来日した後、中学校・高等学校の英語教師として島根県松江市や熊本に赴任していたことは有名ですが、焼津との関係は意外と知られていません。松江時代、元士族の娘・小泉セツと結婚し、家族とともに夏休みを過ごすために初めて焼津を訪れたのが明治30(1897)年。水泳が得意だった八雲は焼津の海が大変気に入り、以後6度の夏を焼津で過ごします。その体験は『焼津にて』という作品で描かれています。
 この「焼津小泉八雲記念館」は、こうした八雲と焼津とのつながりをパネル展示や写真などで紹介した記念館です。興味深いのは、八雲が焼津から、留守番をしている妻・セツにあてた手紙です。書き出しはいつも「小・ママ・サマ」。「小」とは「かわいい」「愛しい」という意味を含む英語の「little」を日本語にしたもの。八雲の話す片言の日本語には独特の風情があったといいますが、それはこうした家族への愛情表現からもうかがえます。便箋には直筆のかわいらしい絵も添えられており、和みます。
 明治29(1896)年、八雲は日本に帰化します。「八雲」という名前は、神々の国と言われる出雲の歌『八雲立つ…』に因みました。そして明治37(1904)年、6度目に焼津を訪れた、そのわずか一カ月後に、心臓発作で帰らぬ人となってしまいます。折しも、この年は怪奇文学作品集『怪談』が初めて出版された年でもありました。
 幽霊や精霊など異世界の住人たちに魅了され、それらを通して人間の心や、そのあるべき姿を探求した八雲。『耳なし芳一』や『雪おんな』は、幾年が過ぎても、まるで八雲に魂を吹き込まれたかのように色あせず輝き続けるでしょう。


▲右側のモニュメントは全体で富士山、右側は焼津海岸の波を表し、小泉の「小」、八雲の「八」の文字をイメージさせます
▲パンフの表紙の八雲の写真。16歳の時、左目をケガし失明しました


ミュージアムメモ
所在地/ 〒425−0071 静岡県焼津市三ヶ名1550
交通/ JR焼津駅南口より焼津市自主運行バスで5分
「文化センター前」下車してすぐ
開館時間/ 午前9時〜午後5時
入館料/ 無料
休館日/ 毎週月曜(休日の時は以後の最初の平日)、年末年始
問い合わせ/ 054−620−0022
※館内は写真撮影禁止

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