2006年12月号 Vol.397

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9月24日からのわずか8日間で玄奘三蔵の16年間(西暦629〜645年)にも及ぶ西域の旅を体験することはもとより不可能であるが、何より夢とロマンに満ちた旅であった。
オアシスは近代都市だった
北京空港で乗り換えた飛行機はまっすぐ西へ西へと3時間40分飛行。その間飛行機の窓から見える眼下の景色は全て広大な砂漠。通常カザフスタン砂漠といわれているそれだった。やがて天山山脈が見えてくるとそこが西域一番のオアシス・ウルムチ(烏魯木斉)である(ウイグル語で「美しい牧場」の意)。新疆ウイグル自治区は山地44%、砂漠42%、残りの僅か4%のオアシスに人々が生活しているのだ。
オアシスと言えば駱駝が椰子の木の下で泉の水を飲んでいる姿を想像するが、突然現れた現在のオアシスは230万人が住む大都会である。中国全体で56の少数民族がいるといわれているが、ここには47民族が暮らしている。まさに民族の坩堝である。ここで「楼蘭美女」(ミイラ)に久しぶりにお会いした。
世界遺産の宝庫
トルファン(吐魯番)では「西遊記」の舞台となった火焔山を見学。文字通り真っ赤であった。そしていよいよメイン舞台の敦煌へ。アフガニスタンのバーミアンと対比される「莫高窟」。俗称「千仏洞」といわれるように現在でも492の石窟が見事に保存されている。童謡「月の砂漠」のモデルとされる「鳴沙山」は近くにある。ここでは駱駝に乗って悠久の歴史に思いを馳せた。
旅の終わりは「シルクロードの東の玄関」西安。兵馬俑のスケールは想像を絶するものであった。度重なる戦乱にもかかわらずよく遺されたものである。やはり平和が一番。
▲月の砂漠のモデル鳴沙山を行く駱駝 |
▲前列右端が筆者と妻 |


