2006年3月号 Vol.388

|
8月末、私と息子はキューバのハバナに到着した。日本との時差はマイナス13時間。成田を出発してから約22時間。通貨はペソ。言葉はスペイン語。生物は食べず、主食はご飯とチキン。革命の歴史の国キューバ。
なぜキューバなのかと言えば、私も息子も「日本をふりかえる旅」ができると信じたからである。
東に位置するキューバ第2の都市サンチャゴ・デ・キューバは革命の発祥地。1959年、人民軍の勝利によって解放された時、流された多くの魂はこの国に生き残った人々によって奉られ、英雄となった。革命広場(セスペデス広場)やモンカダ兵舎博物館にその足跡を残す。永い間スペインによって統治され、外国から圧迫され続けている。しかし、そのスペインの秀でた美術品や街並みに残る沢山の建造物が世界遺産となり、観光客の落とす僅かなお金で、人々の生活が成り立っている現実がある。
ハバナの旧市街地に建つカピトリオ(旧国会議事堂)は、その代表的なものである。広く長い石段を登った正面の床には23カラットのダイヤが嵌め込まれ、ここがキューバの方位軸となっている。石段の下では名物のココナッツタクシーや馬車、ラクダバス、自転車タクシーが客待ちをしている。人懐っこい顔で「ハポン(日本)?こんにちは」と日本語で話しかけてくる。私たちも覚えたての「オーラ(こんにちは)」で返す。石畳の美しいトリニダ。「カリブの真珠」と言われ、真っ白い砂浜が23キロにわたり続くバラデロ。チェ・ゲバラが眠れるサンタ・クララ。文豪ヘミングウェイが過ごした漁村コヒマル…。
決して豊かではないけれど屈託のない笑顔、優しい瞳。何時でも何処でも歌と踊りを楽しむ人々。高速道路でも平気でヒッチハイクしている人々。鈴生りのラクダバスから手を振る人々…。アメリカの厳しい経済制裁によって、国中が貧しいけれど、私たちに向けるその心からの笑顔に卑屈さは微塵もない。それは正に我々が昔、何時も出会っていたもの、忘れかけていた純粋無垢な笑顔であった。
治安もとても良く、何にも心配のない旅だった。私はすっかりこの国が好きになった。またいつか必ず来ようと思う。それまで「グラシイアス(ありがとう)」、そして「アディオス(さようなら)」。
▲革命広場(セスペデス広場) |
▲写真上/「カリブの真珠」と言われるバラデロの海岸 写真右/カピトリオの床に埋め込まれた23カラットのダイヤ |


